aime et n’aime pas

…、好き嫌い。
(あってるか不安だけど)
大人になるというのは面倒です。
持つものが増えれば、管理やなんだ面倒も増える。
ものを持たずに生きることも…、わからなくはない。
(私は持つことが好きだけれど)
ま、それはおいておいて。
ほかにも面倒なことがある。
あれやこれやに「理由」をつけたがること。
いろいろなことを分析したり、考えたりするときに論理的考察
は重要だ。が、好き嫌い(特に私的なもの)は本質的には理由付け
「しなければいけない」理由はない。
そう。
私は昔からずっと言っているのだけれど、子供に
「~ちゃん、どうして○○が好きなの?」
「どーしても!!」
と答える。これで十分なのだ。
が、大人になると悪い癖
「~だから」
が出るようになる。面倒だ。
確かに、大人に好き嫌いは「理由」による暗示、自己暗示が少なくない。
けどね、仕事はともかくモノの好き嫌いくらいは理由の先立たない
 「好き」「嫌い」
でいいと思う。
(なぜ好きなのかを後から分析するのはいいと思うけど)
ま、ただの戯言でした。

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aime et n’aime pas への1件のフィードバック

  1. orblarm のコメント:

     ブロ主の周りにいる人間の中で代表的な
    「ものを持たずに生きる」私の見解です。
     好き嫌いに理由を付けるのは、本質的にあらゆる
    物質が不完全であることを見抜いてしまうからです。
     これは理性的かつ理論的な人間であればある程、
    整合性や合理性を本能的に求めてしまい、そうでない
    ものを生理的に嫌悪してしまうからです。
     ゲーデルの第2不完全性定理
    「自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が
     無矛盾であるなら、自身の無矛盾性を証明できない」
     これに尽きると思います。
     しかし人間は根源的矛盾を孕む生き物。
     例えばコレクションは、集めている間は楽しいけれど、
    それが正方向に無限開放されている場合(要するに
    終わらないことが分かっている場合)、人は簡単に気力を
    失うものです。
     ところがあるカテゴリを征服してしまうと、それは
    それで無気力になる。ムーミンにおけるヘムレンさん
    現象ですね。
     畢竟、全ての人間が必ず必要とする唯一のものとは、
    「次の目的」なんですよ。
     精神的にも物質的にも証明されていて、歴史上矛盾が
    ない普遍の定理です。
     そうでなければ、哲学も数学も天才を必要としない
    世界になってしまうことは帰納的に明白だからです。
     『ゲーデル、エッシャー、バッハ –
                 あるいは不思議の環』
     これを読むと自己言及とは何かということが少しだけ
    分かったり分からなかったり。
     ちょっと高い本だけどお勧めです。  
     

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